物語と一口に言っても、ハッピーエンドだったり、バッドエンドだったり、映画だったり、小説だったり、物語を指す物が多く、人によって物語のイメージ像に違いが生まれてしまいます。
そこで今後私が使う「物語」という言葉は、以下のように定義します。
この話を物語と捉えていただきたいと思います。
神話や英雄譚は基本的にハッピーエンドで終わります。
映画や小説など物語の表現方法によって区別することはありません。
主人公の内面の成長が描かれているものであれば、ゲームでも映画でもドラマでも小説でも物語とします。
主人公が成長して幸せになる話として考えていただければ問題ありません。
そしてこのページでは、あなたに人生に活用するための物語の本質や構造を学んでいただきたいと思います。
「なぜあなたにだけ辛い出来事が起きるのか?」のレポートよりもさらに濃い話をしていますので、最後までじっくり読み進めていただきたいと思います。
1.物語とは
内面とはなにか?
- 性格
- 感情
- 思想
- 言葉遣い
- 解釈
- 決断力
- 欲望
- 使命
- 習慣
- 行動
- etc…
上記のように実際に目に捉えることができないモノのことを内面と言っています。
外見とはなにか?
- 筋肉
- 顔つき
- 表情
- 骨格
- 家族構成
- 収入
- 生活風景
- 交友関係
- etc…
外見の場合は実際に目で捉えることができるモノの事を言います。
この外見と内面の話が出たとき、
いつもこんな疑問が頭の中に浮かびませんか?
「どちらを先に変えるべきか?」
その答えをまずはお伝えします。
結論から言うと、
内面から変えるべきです。
マザーテレサがこんな言葉を残しています。
“ 思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。”
マザー・テレサ
運命を変えたいのなら、結局のところ、「思考を変える必要があるんですよ。」と言っています。
わかりやすく表記すると下のようになります。
思考→言葉→行動→習慣→性格→運命
つまり、思考がすべての始まりだということです。
ただ、「思考」という言葉を使ってしまうと、「頭で考えてから行動する」と捉えてしまうため、思考という言葉を私はあまり使いたくはありません。
人は意識的に考えなくても行動します。
だから意識の中にあるもっと根深いもの、無意識の中にあるもの、それを変えなくてはなりません。
それは、思想です。
今まで受けてきた教育、体験してきた出来事、出会った人々、それら全てから影響を受けた、思想。
これが私達の行動、感情、欲望、全ての始まりです。
思考は意識的に考えている行為、
思想は無意識的に感じている感覚です。
例えば、街中を歩いていて、ポルシェを見かけたとします。
たいていの人は、「おっ!高級車だ。」と思うはずです。
あの素材が高額で、ホイールの材質がいくらくらいで、ああでこうで…
「だからポルシェは高級車だ!」
なんて考えていませんよね?
「ポルシェは高額な車」
と、私達は印象付けられているから、ポルシェを見た瞬間に「高級車だ」と思います。
これが、思想です。
無意識に感じてしまうことが思想です。
「高級車だ」と感じた後、「この車に乗っている人はどんな人だろう?」と考えることは思考になります。
「おそらく金持ちなんだろうな。」
これも思考です。
ただしこの思考は、すべて思想から来ています。
「高級車だ」と感じるから、所有者も「金持ちなんだろうな」と考えるからです。
私達はいつも、
無意識→意識
という順番で物事を捉えているのです。
あなたもそう思いませんか?
↑この文を読んだら、「質問されてる」「聞かれてる」と感じますよね?
これが思想です。
わかっていただけましたか?(笑)
だから私は、思考ではなく、さらにもっと深いところにある「思想」を変えなくては、行動は変わらないと考えています。
未来を変えたいのなら、無意識に感じてしまう思想を変えなくてはならないということです。
そして物語は、主人公に対して、この思想の部分を変化させようとしているのです。
なぜなら思想が変わらなければ、主人公の理想とする結末、物語の理想とする結末を描くことは不可能だからです。
物語は主人公の思想を変えるお話なのです。
物語がどういうものか理解していただけましたか?
補足:
思想は記憶です。
そしてこの記憶は体験からつくられます。
私たちが生まれてから体験してきた生活環境、親からの教育、学校での教育、友人からの言葉、テレビ番組で見た光景などなど、私たちはどんなに些細なことでも記憶として残ります。
体験から記憶がつくられ、思想の礎となると私は考えています。
ここで矛盾が生まれたことにお気付きでしょうか。
「思想を変えなければ自分を変えられない、しかし思想を変えるには体験をしなくてはならない」という矛盾です。
この矛盾に私自身も悩みました。
「体験することが先なのではないか?」
しかし思想を変えずに体験をしていては、その体験に対して感じることは今までと変わらないのです。
「やっぱり思想が先ってことでは?」
しかし思想を変えようとしても体験によってしか変えられないのです。
この矛盾を解消する手助けしてくれる役割が実は人間には備わっています。
それが、想像の力です。
例えば、小説を読むときは、頭の中でそのストーリーを描きながら読み進めますよね?
頭の中で仮想体験を行っているだけなのですが、人間の脳にはこれが実体験か仮想体験かの区別はついていないのです。
意識的には小説のストーリーが自分の実体験ではないと考えていますが、脳(無意識)には小説のストーリーを体験したと感じています。
つまり想像の中で体験し感じたことと、実際に体験して感じたことに差異はないということになります。
思想を変えたいと思うのならば、頭の中で仮想体験をし、体験中の自分の感覚を自分の求める理想の感覚に置き換えて想像するのです。
これを繰り返すことで思想が変化していきます。
2.物語の性質
性質とはそのものが持っている変わらない特徴のことを言います。
どの物語にも共通して言える部分、それが物語の性質です。
- 中心人物は主人公
- 主人公の思想の変化を描いている
- 必ず始まりがある
- 必ず終りがある
- 必ず主人公の思想を変化させる出来事が起こる
- 物語の始まりと終わりでは主人公の思想は変化している
- 主人公が行動したときのみ物語が進む
- 主人公が理想を手にした時、物語が終わる
- 主人公は必ず結末へと向かう
- 物語の作家は全てを知っている
主人公の思想を変化させる出来事とは例えばこういうことです。
2011年3月11日、
東北大震災が主人公を襲った。
主人公の家は津波にさらわれ壊滅。
家を失った主人公は絶望に暮れる。
主人公はこう思った。
「明日死ぬかもしれない。好きなことをして生きていこう。」
その後、主人公は勤めていた会社を辞め、大好きなサッカーに携わる仕事を始めるようになった。
この話は私の空想上の話ですが、実際に被災された方の中で、この主人公のような考えに至った方は多いと聞きます。
東北大震災という出来事がきっかけとなり、主人公は人生観そのものが変わってしまったのです。
人生観が変わったからこそ、物語が動き出し、主人公は仕事を辞め、主人公の好きなことをするようになりました。
では、このとき、主人公が被災したのにも関わらず、何の思想の変化も起きなかったら、物語は動いていたでしょうか?
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2011年3月11日、
東北大震災により主人公は家を失った。
主人公はこう思った。
「ま、別にいいや」
その後、主人公は震災前と変わらない生活を送った。
このように主人公の思想が一切変わらなかった場合、住む場所の変化や生活の変化は多少ありますが、その先の物語を描くことは難しいでしょう。
なぜなら、主人公自身が何の変化もしていないからです。
この先描けるものは、主人公の住む家が変わったということと、食べ物が変わったぐらいでしょう。
これは物語ではなく、ただの日記です。
たとえ主人公を取り巻く環境が変わったとしても、主人公の内面部分が変わらなければ、物語は一向に止まったままの状態です。
ここで重要なのは、「主人公に起きたこと」ではなく、その出来事に対して「主人公がどう思ったか?」です。
主人公の出来事に対する解釈次第で物語は動くということです。
つまり出来事に大小は関係ないということです。
わかりやすくするために東北大震災を例に出しましたが、極端なことを言えば主人公を襲う出来事は何でもいいわけです。
主人公は仕事の帰り道、ふと空を見上げた。
赤く染まった空がきれいだった。
その夕焼けを見て主人公はこう思った。
「画家になろう」
そして次の日、主人公は辞職願を会社に提出し、水彩画のセットを購入した。
こうして主人公は新たに画家としての人生を歩み始めた。
このように日常の何気ない出来事が、主人公の心を変えることもあるわけです。
物語が進むかどうかは、すべて主人公の解釈次第となってきます。
ある出来事に対しての捉え方が、物語の変化の起点となり、主人公が実際に行動することで物語に変化が起きるということです。
重要なことなのでもう一度言います。
物語が変化するには、主人公の思想と主人公の行動が必要不可欠です。
出来事が主人公を変えているわけではありません。
出来事はあくまでも変化のきっかけに過ぎないのです。
この部分を理解していただければ、物語の性質を理解したも同然です。
このパートの最後にあなたに質問です。
物語で重要なのは、出来事と主人公どちらですか?
3.物語の3つの構成要素
物語は3つの要素から成り立っています。
1.主人公
2.出来事
3.筋
主人公と出来事については「物語の性質」のパートで解説していますので、物語に必要なことはわかると思います。
ですのでこのパートは3番の「筋」について解説していきます。
筋というのは、わかりやすく言えば、つじつまです。
筋の通った物語=話のつじつまが合っている
ということになります。
物語の筋が通っていないと主人公の行動に一貫性がなくなり、物語が成立しなくなります。
「ゴールは右です。」という看板がある分かれ道で、左に行ってしまうようなものです。
「えっ、何してるの?」ってなります。
物語の性質でお伝えしたとおり、物語には始まりがあって、終わりがあります。
この始まりと終わりが1本の道筋になっていないと物語として成立しません。
例えば、ある一人の少年が貧しい家族を養うためにプロサッカー選手になるまでの物語があったとします。
主人公はある少年:ガブリエル
物語の始まり:貧乏な幼少期
物語の理想の結末(ゴール):家族と裕福に暮らすこと
理想の結末を目指すきっかけとなった出来事:母が病気にかかり、治療費が払えなかったこと
ガブリエルは大切なお母さんのためにプロサッカー選手になって、お金をたくさん稼ごうと思った。
そして夢を叶えて家族で裕福な暮らしをするようになった。
こういった物語があったとします。
この物語には、物語に必要な主人公、出来事があり、物語の始まりと終わりがつながっています。
ガブリエルがプロサッカー選手を目指すきっかけが明確で、ガブリエルはプロサッカー選手になるというゴールに向かって物語は進んでいます。
物語のスタートとゴールがつながっていて、筋が通っています。
では、ここで1つ質問です。
ガブリエルが途中でプロサッカー選手ではなく、プロギャンブラーを目指すようになったとします。
そして実際にプロギャンブラーになって家族と裕福な暮らしを達成しました。
この場合、筋が通っていると言えるでしょうか?
プロサッカー選手もプロギャンブラーもお金を稼ぐ金額は一緒だとして考えてみてください。
・
・
・
・
・
….答えは、筋が通っている、です。
今回の物語ではガブリエルの目的は、プロサッカー選手になることよりも、たくさんお金を稼いで家族と幸せに暮らすことにあります。
ガブリエルが家族への愛を試されている物語ですね。
ということは、ガブリエルはプロサッカー選手という職業にこだわっているわけではないということです。
ガブリエルの目的は家族と裕福に暮らすことです。
一見すると、「何してるの?」と思ってしまいますが、ガブリエルの目的の筋は通っています。
家族と幸せに裕福に暮らすことができれば、どんな職業でもかまわないとガブリエルは考えているからです。
だからこの物語は無事に理想の結末を迎えたと言えます。
仮にこの結末でガブリエルが自分の生活で手一杯な職業のまま、家族と裕福に暮らすことが叶わなかった場合には、話の筋は通っていないと言えます。
つまり主人公の真に求めるものが手に入らずに結末を迎えた場合には、話の筋が通っておらず、物語として成立していないことになるのです。
物語は主人公の真の目的に沿った出来事が起き、主人公を成長させ、常に理想の結末へと向かっていなければなりません。
つまりゴールが軸になっているということです。
常に物語の結末に向かうための出来事が起き、主人公は常に真の目的を達成するために成長します。
物語で起こることは「すべて結末へとつながっている」のです。
様々な出来事を経験したから目的を達成できたというわけではありません。
目的を達成するために出来事が起きるのです。
出来事が点、その点が重なることで線となり主人公と結末がつながるのです。
スタートがあるからゴールがあるのではありません。
ゴールがあるからスタートできるのです。
これが物語の構造です。