「なぜ私がこんなにも辛く苦しい思いをしているのに、なぜあの人はあんなに楽しそうなのだろう...」
私は他人と自分を比較して、幸せそうな人を妬んでいました。
なんで自分の家だけこんなに貧乏なのか。
なんで私には父がいないのか。
なんで自分ばかり怒られるのか。
なんで努力を評価してくれないのか。
ほとんどの人が持っていて自分にはないと感じたときや、ほとんどの人が損をしないのに自分だけが損をするときには特に他人と自分を比較してしまうことが多かったのです。
そして劣等感を抱くようになり、自分に自信が持てなくなっていきました。
他人と比較しては落ち込み、自分の存在価値を模索しますが結局答えは出ません。
なぜ他人には起きない問題が自分に起きるのか。
人生が平等であるならば、自分にだけにしか問題が起きないのはおかしい。そう思っていたからです。
逆に自分に起きない問題を抱える人を見たときにはやるせない気持ちになることもありました。
その気持ちを強く感じたのは、子供を授かることができなかった夫婦とお会いしたときです。
旦那さんも奥さんも人柄が良く、私がとてもお世話になった方でした。
奥さんと話す機会が多かったので、子供ができないことについて悩んでいたことも落ち込んでいたことも知っています。
この話をするときの奥さんの表情はとても辛そうで、私自身も心苦しくなります。
ただ私には話を聞くこと以外できなかったのです。
なんの力にもなれない自分の無力さに情けなくなりました。
「不公平だよ...」
度重なる幼児虐待のニュースを見たとき、挨拶しても返してこない近所のおばさんが子供を抱えているのを見たとき、何度もそう感じました。
「神様なんていないんだな...」と思いました。
その頃の私は社会人になりたてで、「人は皆平等だ」という価値観を持っていたのです。
しかし、社会人になり色んな人と出会い、色んな話を聞く中で私の中の価値観は変化していきました。
「人は平等ではない」
こう思うようになっていったのです。
私は不平等であることを前提にすることで少し気が楽にはなりましたが、なぜ不平等なのかがわからないため、もやもやした気持ちを晴らせずにいました。
そんなとき、私は1冊の本と出会い、その本がきっかけとなり、私は人生を1つの物語としてとらえるようになります。
個人それぞれが独自の物語を歩んでいると考えると、今まで悩んできたこと、起きる問題にすべてに納得がいったのです。
今までの私は1人1人がつながりを持っていて、同じ物語の中をみんなで歩んでいると考えていました。
しかしそうではありませんでした。
1人1人がそれぞれ別の物語を歩んでいて、それらが交錯して人との出会いがあるのです。
私は私の物語があって、あなたにはあなたの物語があります。
私もあなたも別々の物語を歩んでいます。
それぞれ別の物語だから同じ問題が起きません。
それぞれ別の物語だから不平等だと感じてしまうのです。
唯一、平等だと言えるのは、1人1つの物語を持っているということです。
物語が変われば始まり方も終わり方も終わりに至るまでの出来事も何もかも違います。
だから他人と自分を比較することは何の意味もなかったのです。